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深沢七郎『人間滅亡的人生案内』(河出書房新社、2016年)

タイトル通り、深沢七郎による人生相談。’67年から’69年までに『話の特集』という雑誌で連載されていたらしい。以前新潮社で出版されている『楢山節考』に収録された「月のアペニン山」が面白かったので購入。相談者は主に18から30までの若者たちで、深沢自身も述べているとおりどれもこれも似たり寄ったり呆れた質問ばかりなのだけれど、つい最近まで彼らと同じ若者だった身としては、羞恥と嫌悪感を感じざるを得なかった。なんかほんと!すみませんでした!!!思い上がってました!!!すみませんでした!!!!って地に伏せて謝罪したい気持ちになりましたごめんなさい。

 「未来が開かれない。

 生きていたってつまらない。

 世をはかなむ。

 自分には何も残って無い様な気がする。

 指針がない。

 意欲ゼロ。

 世の男性を見るも煩わしい。

 虚栄もくだらない。

 毎日が毎日毎日、なぜ来るんだろう。

 生きていく理由なんてないよ。」(P.N. 二十にして迷える女、26-27頁)

 

「(上記に対する返答として) つまり、ツマラナイことなど考えるのはセックスが不足しているからです。便秘、不眠などと同じ状態なのです。あなたは誰でもいい、気のむいた男と同衾するのです。」(28-29頁)

 

「(何もしたくない、何の欲もない、贅沢は言わないので不労所得のみで暮したいと思っていることについて意見をくれ、という手紙に対し) なにもしないで、乞食などもしないで天から生活費をお授け願いたいということは恐ろしい考えです。つまり、あなたのような考えかたの者が、それを実現させるために、人間を利用して、自分だけは遊んでいて、他の人間に働かせて生活することを考える、恐ろしい人たちになるのです。だから、あなたのような恐ろしいことを考える者が資本家になるのでしょう。資本家でさえもその土台をきずくまでには凄く努力します。有難いことにはあなたは恐ろしい考えを実行する努力もしないのだから、不幸のなかの幸です。てめえの食うだけは働くのです。貴君は『何の欲もない』ということ、それが、まだあなたを救っているのです。ペシミスト――厭世家だと思います。それは勝手に自分でそうきめていることで、貴君のような奴はちからも金もないが、それを持った場合は厭世家ではなくなり、恐ろしい人肉利用者になると思います。ニヒリストだ、アナキストだ、オナニストだなどとうぬぼれるのが呆れます。あなたは、ほんとは独裁者、資本主義者、寄生虫、たかり屋、詐欺、横領の素質を持っている奴です。あなたのような人間が、まあこの世の中には満ちあふれているのです。ほとんどの人間が貴君のような奴なのです。『本当に何の欲もない』と自分では思っているのだから恐ろしい人間です。」(73-74頁)

 

「(友人がいなくて淋しいという問いに対し) また、恋人も、ボーイフレンドも、女の子の友達もないので大変寂しいことだと思っているのはどうしたことでしょう。そんなものがあるのはウルサイのです。ないからウルサクないので幸福なのです。寂しいなどと感じたときはそういうものを作ればいいでしょう。もし作れなくてもボヤくことはありません。作れないものは作らなければよいのです。それは貴女に不必要なものだからです。寂しいなどと思うのは食事をするときオカズがマズイと思うのと同じです。腹が減ればオカズなどなんでもいいのです。つまり、ほんとに貴女は恋人、友達に対して飢えていないのです。もし、寂しいなどと思ったら恋人や友人などなんでも、誰でもいいのです。どれも同じようなものですから。」(154頁)

 

「僕はまだ童貞なのです。いわゆる女の人がキライなのです。話していても、その無神経さ、頭のワルサ。思いあがったキドリ。いわゆる女の愚かしさがガマンならないのです。僕は他人が僕をどうみているかという事にほとんど興味もなく、平気でいられるのですが、それは相手がこっちも興味のない男の場合にかぎられていて、愚かしい女が僕を小馬鹿にするのは決してゆるせないのです。僕は容姿が貧相でどもりで陰気くさく、いわゆるカッコよさがないので女性にもてないのはあたりまえなのです。しかし、それもあまり重要なことではありません。問題は、僕には性欲があるのだけれども、現実の女が、イヤなのです。男もキライだけれど、これは問題ではありません。僕は女ギライではなくて、若さの為の自意識と女から軽蔑されることからの恐れからの女性恐怖症なので、タワイない事だという事はよく知っているのです。」(K, 164-165頁)

 

今でもネットのそこかしこで青年たちのミソジニ―が発露しているけれど、50年程前でも全く同じようなことを言っているのが面白い。哀れな阿呆だと思うけれど、恥ずかしげもなくネット上で「女脳」「子宮脳」だのキーボードをタイプするだに汚らわしい言葉を吐く無恥無能よりかは自己分析が出来ているだけ可愛げがあるというものである。(ちなみに深沢の返答は女の嫌なところは放っておいてとりあえずトルコ風呂にもでも行けというものであった。適当なおっさんである)。

 

「なんと、この世代の自分本位な生きかただろう。

 ところが、そんな人達の、悩みが、また、とても可愛い内容なのである。

 ここにまとめた質問はそんな若者たちの不平不満――たいがいは不愉快なその生活ムードなのだ。だから、これらの質問に、常識とか道徳とか押しつけて解決することは出来ない。なぜならば、良いこととか、悪いこととかで区別することができない小さな出来事なのだからだ。

 このドラマ的でもない、事件的でもない小さな出来事の質問はほんとに、たとえ、わずかな時間でも不愉快であれば堪えることが出来ない――その小さな出来事が実は生きている意義があるか、ないかの大きな出来事なのだった。若者たちには生きていくことは、その日、その日のムードなのだ。だから生活のムードが犯されると生きつづけることが怪しくなるのだから、この小さな出来事の質問は大きな出来事だったのだ」(206-207頁)

 

アイデンティティークライシスの模範例のような質問ばかりで、しかも誰もが見栄とプライドだけは一人前なのだから本当にこちらが赤面してしまうほどなのだけれど、言うまでもなく、承認欲求は、いつの時代でも若者にとって危機的な問題なのだろう。「私、何をすればいいのかしら?」「僕はこのままでいいのだろうか?」という問いは、勿論それを見知らぬ他人に問うのは愚かしいと言って然るべきでも、それは実存に対する問いであり、いわば、自身の生に対する問いとも言える。そんなこと人に聞いてもしょうがないなんてことは誰でも考えれば分かるのだろうけれど、それでも一人で立つには頼りないからこうして深沢に頼ったり、まぁ現代ではイイネをどれだけもらえるかで自身の存在が認められているか確認するのだろう。南無。

当時壮年期に差し掛かっていた深沢が、そういう彼らの問いに対して一貫しててきと~~~~~な感じで返答しているのは至極真っ当といえる。だって、彼らは本当は何かがガラっと音を崩れて変わるような、天啓のような、メタモルフォーシスのような、衝撃的な何かを求めているのだろうけれど、そんなもの与えられるわけないもんね。だからまぁ、深沢の言うとおり、食って寝てセックスしてぼーっと過ごすのが、仕様がない悩みには一番なのでしょう。それにしても、大体の質問に対してはのらりくらりと返答している深沢が、不労所得で暮したいという手紙と、学生デモに参加する気が起きないという手紙に対しては叱咤していることが面白かったです。

『風流夢譚』、電子書籍化されてたのね。kindleで購入したのでその内読もう。

 

今回文句ばかり言っているけれど、ついでに言うと、山下澄人の解説文が腹立たしかった。深沢の情の無さが爽快だ、それは3.11の津波を映像で見たときと同じくらい爽快だ、と無邪気に述べているのだけれど、想像力の無さもさることながら、リアリティについて考えたこともないのだろうかと疑問に思う。安全な場所で、のうのうと、テレビの画面を眺め、呑気に「爽快だった」とカマトトぶって述べる中年は、自意識過剰少年少女よりも、よっぽど胸糞が悪かったです。

 

人間滅亡的人生案内 (河出文庫)

人間滅亡的人生案内 (河出文庫)

 

 

 

風流夢譚

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