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イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』米川良夫訳(河出文庫、2003年)

「ただ売り買いをしにばかり、このエウフェミアにやって来るのではございません。夜、市場のまわりの焚火を囲んで、袋や樽の上に腰をかけたり、絨毯の山の上に横になったりしながら、だれかが言いだす言葉―――、『狼』とか、『妹』とか、『秘密の宝物』とか、『戦い』とか、『疥癬』とか、『恋人』とかというような―――その一言ごとに、他のものがそれぞれ自分の狼とか、妹とか、宝物とか、疥癬とか、恋人とか、戦争とかの話を物語るためでございます。それに、御承知のとおり、われわれを待ち受けている長い旅路で、駱駝や帆舟にゆられゆられてゆくあいだ、ずっと眠らずにいるために、おのが身の上の思い出話を一つ残らずつぎからつぎと思い出しておりますと、エウフェミアからの帰り道では、自分の狼が別の狼に、自分の妹が他人の妹に、自分の戦が違う戦になるのでございます。あの都市では冬至夏至春分秋分ごとに思い出を商うのでございます」(49~50頁、都市と交易1)。

 

 

「私を御信じくださいますならば、幸いでございます。ただ今より、オッタヴィア、蜘蛛の巣都市の作られている様を申し上げましょう。峨々たる二つの山のあいだに懸崖がございます。その都市は虚空のただ中にございます、粗索や鎖や吊橋で両方の頂きに結わえつけられているのでございます。その街をゆくには横板の上を渡り、隙間に足を入れないように気をつけねばならず、あるいは大麻の網にしがみついてゆくのでございます。下には、何百メートルもの深さにわたって何もございません。時おり雲が流れ、そのさらに下には渓谷の水さえ垣間見えるのでございます」(95頁、精緻な都市5)

 

「とはいえ、彼らはただ過去の思い出だけで暮しているというわけでもございません。子供たちが大きくなってから進むであろう経歴について(ペナーティ)、またその家やその地域が立派な手腕の人に委ねられたならどのようになるかについて(ラーリ)、彼らはさまざまに計画を思いめぐらすのでございます。レアンドラの家の中で、とりわけ夜中に、耳を澄まして御覧になれば、彼らがしきりにひそひそと話し合い、言い返し合い、はやし声、吹きだし笑い、冷笑をたがいに投げかけ合っているのが聞えることでございましょう」(103~104頁、都市と名前2)

 

奇々怪々な五十五の都市の物語。人の住む街もあれば人の気配のしない街もあり、御伽噺のような街もあれば、都市そのものというよりは言葉や記憶のメタファーのようなお話もあり。それにしても、『アレクサンドリア四重奏』もそうだけれど都市について語ることに対する魅力というのはどこからやって来るのだろう??文学の世界で最も語られるのはパリだろうけれど、ロンドン、ニューヨーク、ベルリン、上海、東京、と書き連ねるだけでも惹きつけられるイメージが都市には付随するようだ。

例えば歴史、建造物、人々の生活、地形的特徴(『見えない都市』でも京都の網の目状の型について言及されていた)、伝統や風習……。

構成としてはみんな大好き『千夜一夜物語』や『ボッカチオ』の体裁をとっているように、ただ物語ることの悦楽を満喫するための物語にも思うけれど、訳者あとがきで現代都市批判も込められているとか書かれていたし複雑な章構成を鑑みると深い考察等もできるのだろうけどもうちょっと賢くなったらそういう読み方をしたいとおもいますまる。

 

ただ都市の話の羅列ではなくて、マルコ・ポーロの語りという形をとっているからか、旅行に伴う未知の土地の楽しみと異郷にいることのアウェイ感がうまくでているよね。マルコが彼にとってのヴェネチアを語るところもよかった。

 

見えない都市 (河出文庫)

見えない都市 (河出文庫)